戦争の跡地と地震津波の爪跡は類似している

昔昔ある所に、テレビも電話もない時代の事でございます。四方八方山に囲まれたある小さな村に、可愛い女の子が生まれたのでございます。その母親は戦争中なので食べる物もろくになく,痩せ細っておりました。子供を産む時に力がなかなかでなくて、それはそれは難産でございました。やっと産んでも母乳がでず、早くから,乳の代わりに重湯を食べさせておりました。この家の主人は身体が弱く,戦争に行く事が出来ませんでした。主人の名は山中太郎、
太郎は,病弱なのに,すでに子供が長女長男次女,そして今三女と子沢山な家庭でありました。貧乏な家程、子沢山なものだと言われてきましたが例外ではありませんでした。昭和20年8月15日終戦の日を迎えた時は、今までの張り詰めた世界から、戦争が終わったと言う安堵感があったと思います。しかし、生き残った者達は、焼け野原の戦争の跡地を見て、これからどうなるのかと不安感で一杯でした。今思えば、2011年3月11日に興った地震津波、原子炉の汚染の跡地を想像させるに似ていました。日本人一丸となって、復興に向かって突き進まねばなりません。その底力は日本人は持っています。頑張れ日本。