二人の世界

 秋男と冬二子の二人の間借り生活、学生だけれど、ご飯用意、掃除、洗濯は女がするものだと言っては、冬二子の仕事が多いのは御多分洩れません。やはり、男は、今の若者と違います。封建社会が根強い時代で、まだ民主主義の時代が始まったばかりで、みな暗中模索の途中でした。そんなとき、冬二子の友達でミドリさんと,秋男が付き合い出しました。お互いに友達の兄と妹の友達だから、気楽に付き合いました。学生時代は、楽しい思いで作りに余念がありません。一番良い時代です。親、兄弟あまり関係ない二人だけの世界にのめり込んでいきます。損得関係ない二人だけの世界なのです。しかし大学生活も終わりを告げます。二人には卒業と言うハードルが待っていました。海や山へハイキング、楽し時期に追い打ちがかかって来ました。

 

下宿住まい

 冬子の結婚は22歳、秋男は20歳、冬二子18歳、夏子12歳。まだ一人、親から手が離れても、大学生の秋男と短大生の冬二子は二人で大学近くで下宿住まい。その頃は、冬に沢山の雪が降るため、すぐ電車が止まります。みんな町で生活の便利さを知れば、田舎などに戻りたくありません。田舎は、このころから過疎化が少しずつ加速していきました。親は子供のため、稼ぐのに余念がありません。相変わらず貧乏暇なしす。夏子の家は、冬子の嫁入り道具を買ってお金はないのに、今までは藁ぶき屋根のお粗末な家でしたが、冬子を嫁に出すときには恥ずかしいから、きれいな家から出したいと、見栄を張り、家を新築したのです。瓦屋根の立派な家を建てました。その当時、娘三人いれば、その家の所帯がつぶれるといわれたものでございます。まだまだ個人と個人の繋がりより、家と家とのつながりが強い時代でありました。お金のかかることばかりです。太郎、花子は、ぼろを着ていても、子供の教育に金をかけました。自分が大学に行きたかったのに、出してもらえない悔しさから、無理に無理を重ねました。子供たちにはそんな思いはさせたくないのです。そんな折、秋男は、冬二子の友達と仲良くなりました。親から離れているから、束縛がないだけ自由でした。お金はないけれど楽しいひと時を過ごしていました。学生時代は、甘く切ない良き時代でありました。

冬子の結婚

 向かいの奥方は、冬子の縁談を気にしてくれて、お見合いの話を持って来てくれました。冬子自身、都会に就職しているので、田舎に戻り生活するのは、やはり気が乗らないため、奥方の縁談に傾きました。結婚しても、勤めを辞めなくても良い縁談に、だんだん気持ちがのってきました。又、身元がしっかりしている。それもそのはず、向かいの奥方の甥ごさんとの縁談なのです。決まる縁談は早いものです。あっと言う間にお互いが気に入り結婚の運びになりました。冬子は、冬二子と違い浅黒く、そんなに美人ではないけれど、人を楽しませてくれる、親分肌の面倒見の良い子でした。向かいの奥方は、そんなところを見て進めてくれたみたいです。冬子22歳の春でした。夏子には姉が結婚すると言う意味がまだ分からない年でした。すぐ帰ってくるものと考えていたのですから。太郎や花子にとっては、初めて娘を送り出す儀式に、余念がありません。

 

揺れる心

 学の近くに相談出来る人がいたら、彼の人生も少し変ったものになっていたかもしれません。又、養子にならなければ、違う人生があったかもしれません。花子は大分後になってから、Γ子供を養子に出すときは、本人が判断できる年頃まで出してはいけないね」とつぶやいていた。学にとって本当の親と思っていた人が、小母さんで小母さんと呼んでいた人が自分の母だったのだから。青天の霹靂だったのです。近所の人は皆、知っていて自分だけ知らないのだから、どうして平常心を保つことが出来るでしょうか?やり場のない怒り腹立たしさ、誰も信じられないこの気持ち抑えようもありません。事実を知ってから自分の居場所を見つけるまで、相当長い時間がかかりました。どこをどうして過ごしたのか分からないほど暗中模索していました。気持ちは荒れて高校の受験のことなど二の次でした。今まで順調に一番をとっていたのに、成績は下降線をたどり続けました。周りも初めてだから、対処方法がわからず、ただオロオロするばかりです。

 ある日の事、学が突然花子の家にきました。「僕をどうして養子に出したの?」Γ今は元気だけれど、その時は私が病気で生きるか死ぬかと医者に言われ、赤ちゃんに飲ます乳は出ないし、お前の世話が出来なくて、赤ちゃんも弱るし、お向かいさんが、助けて面倒見てもらえなければ、二人とも死んでいたと思う。またお向かいさんによくお前が懐いて、絶対離れないといつも泣いていたんだよ。」花子は正直に答えました。「そうか、わかった」としばらく学は考え込んで、そのまま帰りました。それ以降、その話はしなくなりました。15歳の彼は彼なりに納得したのかもしれません。

 

 

 

僕は何者?

 太郎と花子にしてみれば、自分の子供が、遠いところに養子に出すより、自分の家の近くで育つ方が、いつまでも成長を見ていられると考えたのでございます。段々大きくなり、物心がつく頃には「小父さん、小母さん」と呼んで遊びに来ます。本人は養子であることは全く知りません。利発な子で、向かいの奥方を、本当の親と思い、自然に愛情深く育ちました。一人っ子として十年の歳月が流れました。ところが十年後に、その家に実子が生まれたのです。養子の名前はΓ学」実子はΓ保」。昔から貰子すれば、そこの家に子供が出来ると言われてきましたが、この家も御多分洩れず、可愛いいわが子が出来たのです。今更養子を実家に返すわけにはいかず、そのまま兄として育ちました。学は、小学生や中学生の時は,神童と言われるくらい勉強が出来ましたが、思春期になると、近所の心無い人から「お前はもらい子だよ」と言われ、とてもショツクを受けていました。自分の親だと信じていた人が、親でなくなるのですから、聞いた時の衝撃は

言葉に表せません。「自分は何故貰われたのだろうか?」と一人で誰も相談できずに悶々として、ふてくされていました。養母にも、実の親にも話せず、一人で悩み続けていました。

お向かいの奥方との絆

 お向かいの奥方には、子供がしばらくできませんでした。御夫婦はとても仲良しです。仲の良い夫婦ほど子供が出来にくいと言われていますが、こればかりは、「神のみぞ知る」です。その代わりと言うと語弊がありますが、太郎と花子には、すぐ子供が生まれるのです。その当時は「産めや増やせの時代」と重なり、貧乏人なのに子沢山になりました。冬二子と夏子との間に、もう一人子供がいたのです。その子供をお向かいさんが、「養子にほしい」と生まれてすぐもらわれていきました。花子も体が弱く、太郎も病弱だから、とても金持ちであるお向かいの御夫婦のもとに養子にいけば、幸わせになると考えたのです。また、その子は、お向かいの奥方が気に入り、なかなか奥方から離れなかったそうでございます。本当に、そこの家の子になるのが決まっていたみたいな、不思議な絆でございます。

冬子の縁談

 お向かいの奥方が、見慣れないお客が頻繁に夏子の家に入るのを見て、気になりました。ある日夏子に尋ねました。「よくお客さんが見えるけれど、何かあったの?」「お姉ちゃんをお嫁にほしい人が来たんだよ」「そう?縁談なの?どんな人?」「どこかの先生らしいよ」このように、夏子は聞かれたことをぺらぺら喋るスピーカ―なのです。親がひた隠しにしてることを、平気で他人に漏らしてしまいます。冬子も就職すれば、あちらこちらから縁談があっても不思議はありません。農家の娘は、農家に嫁ぐのは自然なのですが、都会に就職すれば、娘としては、朝早く起きて、夜遅くまで働く、そんな農家の嫁には、二の足を踏みます。農家の娘は、町に嫁ぐことを望み、農家の嫁不足がこのころから叫ばれるようになりました。また田舎では、男友達、女友達と仲良くしていると、心ない人が噂をして、縁談が来なくなるので、娘時代はとても噂を立てられないように身持ちをきれいにします。自由の無い時代でした。

 顔の広い人が、仲人さんに成り、双方の家を行き来して話を進めます。自分で見つけられる人は、とても、幸運です。まだまだ、男女平等には程遠い時代でありました。